アウトプットの手前。
この記事を読んで、とてもびっくりした。
読んでみてほしい。
要するに、
文章としてアウトプットする前の思考の表現(発話)として、いくつかタイプがあるという話。
記事内では「ミドルプット」と称して、発話の方法が「耳」、「目」、「内臓」の3タイプあるといっている。
僕は多分、「耳」タイプな気がする。
こうして書いていることも、声は出さないけど心の中で音読していることをキーボードでちゃかちゃか書いているし、大事なメールとかは、言葉遣いが間違っていないか心の中で音読して確認するのが楽だ。
人と話をするときも、大事な話はさっきの記事の通り、うんうん唸りながらしゃべりながら、考えをまとめている節がある。
変な癖だと思っていたけど、考え方の違いと思えたらすっきりした。ありがたい。
周りのひとを当てはめてみると面白い。口が回って早い人は「耳」で、ゆっくりと発言を吟味するようにして口を開く人は「内臓」だなあ。複合タイプもいるかも。
あと、とある人は、自分が考えていることが「全部ニコニコ動画みたいな字幕で流れてくる」といっていて、最初はそんな人いるんだと思ったけど、「目」タイプの人として意外といるみたい。「目」の人は、理論立てるのが上手な気がする。文章として目で追えるのなら納得だ。
自分、こうやってだらだら書くのが性に合ってるのはそういうことだったんだなあ。
感想とか考えていることをうわーっと書く分には全く苦労はないけれど、
腰据えた記事はまた別の筋肉を使うことになるから四苦八苦しているのだろう。
文章をアウトプットするリハビリとして始めたこのブログだけど、今このミドルプットのまま出すスタイルで、文章力の向上につながるだろうか。
まあ悪いことじゃないからいいとは思うけど。
しっかり一度記事を作ってみよう。
と何度も思っているけど、できないのはなんでだろう。
書こうと思っていたのは
・『Slay the spire』というゲームの初心者案内記事
・『呪術廻戦』だいすき記事
・「BASE BREAD」という完全栄養食パンについて
済んでから書きたいやつ
・ダイエット記事
・iPhoneSE2の使い心地(これは1つの記事にはならなそうだから適当に触れようかな)
他にも下書きが結構たまってたけど、一度熱を失ったやつはもう書けないという実感があるな……
一度筆がのっちゃえばいけるとも思うけど、ためちゃうとためたまま沈んでいきそうだ。
何にせよ、自分が「文章を書くのがへた」と思っていたことは、書ける文章と書きづらい文章があるとわかったのがとても大きい。
書きづらい文章は、一度声に出して録音してみようと思う。それをテープ起こししてみよう。もしかしたらできるかも。
ただ、やっぱり向き不向きがあるのだということにも少なからず悲しみを覚えたなあ。
そういえば、小説とか台本がかけなくて、一時期にげるように短歌をやっていたことがあったけど、あれは声に出して確認できるちょうどよい長さだったんだと気づく。
気づきがつながると楽しいですね。いきている。